ちりめん工芸館
京都府丹後の伝統工芸 丹後ちりめんの絵はがき
丹後観光案内

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兜山

#11 兜山(かぶとやま)

久美浜湾の岸辺にたたずむ小さな山。子供の頃のハイキングで登ったときには結構長い道のりだったような気がしていたけれど、大人になってもう一度登ったら頂上まで大して時間は掛からなかった。ちょっと近所の裏山に行くというような、散歩みたいなものだ。頂上のあたりでですれ違った子供なんか走って登って走って下りてきた。そんなことができる小さな山。

しかしなんだか、この山はヘンだなあという感じが以前からずっとありました。中腹にある人喰岩のグロテスクな名前のせいかもしれないし、湾の縁の部分にいきなり突き出したような山の形のせいかもしれない。掘ったら水晶が出る山という子供の頃のイメージも影響していそうだ(実際に水晶が採れた……山のどのあたりだったか忘れてしまいましたが)。大昔の人々も同じようにヘンだと感じていたようで、祭祀遺跡がある。このヘンな山に住む神様を祀っていたのだ。神山→こうやま→甲山→かぶとやま という名前の由来が、本当かどうかはわからないけれど頂上の神社の案内板に書いてあります。出雲あたりではこういう形の山が神奈備山すなわち神の山ということで古代から信仰対象になっていたそうである。


▲人喰岩の上から南側・川上谷川流域の風景

兜山のある久美浜へ向かって東の網野側から国道178号線を走ると、道の駅SANKAIKANを過ぎて兜山が見えるあたりで周辺の山容が少し変わります。それまでなだらかな丘陵が続いていたのに、斜面が急でどことなく威圧感のある山が出てくる。そしてこういう山が、兜山も含めて久美浜湾の沿岸にいくつか並んでいるのである。

いったいどうしてそんなことになっているのか。便利な本があったので引用してみます。京丹後市史本文編「図説 京丹後市の自然環境」より。

”久美浜湾岸には兜山のほか、同じようなドームの形をした山がいくつか見られる……どの山も流紋岩からできている……各所で噴火したドーム状火山の残骸と考えられる。”

”……甲山流紋岩火山岩層からなる。本層が火道部に当たり侵食抵抗性の強い岩石であるため、侵食からとり残され孤立丘として残存した”

流紋岩というのは粘り気の強い溶岩です。地下深くから湧き上がってきたアツアツのマグマがそのままスッと噴き出せば粘りがなくてトロッと流れていくのだが、地表に出るのにもたついていると周囲の岩が融けて混ざったり、一部の成分が結晶化して抜けていって、溶岩のケイ素が濃くなる。ケイ素が濃くなると溶岩の粘りが増します。おまけにのんびりしていたら冷えて余計に粘りが強くなる。そうして地表に出る頃にはネバネバの溶けたキャラメルみたいになり、出口付近でそのまま固まると溶岩ドームができる。

久美浜湾の周辺の山を造った火山は2000万〜1500万年前に活動していたということです。ちょうど日本列島が大陸から離れて動き始めた頃、今の何もない風景からは想像できないことだけれど、丹後でも火山があちこちで噴火していたのです。そのときできた山は長い年月をかけて削られて、もはや山の大部分は無くなったのかもしれない。ただ、マグマが地表に向けてのんびり上っていった穴、火道の中で、惜しくも地表に到達しないまま固まってしまった流紋岩は、固くて侵食されにくい性質だったおかげで今も低い山として残っている。兜山は遥か昔に丹後が元気でアツアツに弾け飛んでいた頃の姿をかすかに残す、夢のあとである。

兜山には水晶が出るという話ですが、流紋岩にケイ素が多いことと関係があるのかもしれません。水晶は二酸化ケイ素の結晶です。また人喰岩は兜山の中腹にあることからして流紋岩であるに違いない。そして、山の形は侵食によって造られたということでした。結局のところ、兜山の「ヘンな感じ」はその成り立ちによるものであったということです。そこに昔の人は神を見た。


▲兜山展望台の頂上から久美浜湾を望む

ところで、「ちりめんだより」の中から兜山に関係のある一枚をご紹介します。久美浜湾の北にある小天橋を描いた絵はがき、タイトルは「小天橋」。実は兜山の頂上から見た風景です。歩いてすぐに登れる展望台ではあるけれど、夏の晴れた日には久美浜湾の青と森の緑に白い雲が綺麗な、爽やかな景色が見られます。