ちりめん工芸館
京都府丹後の伝統工芸 丹後ちりめんの絵はがき
丹後観光案内

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離湖

#4 離湖(はなれこ)

 現在のところ天然の湖としては京都府最大でもしかすると唯一の湖。面積は琵琶湖の千分の一以下しかなく、深さは7メートル、もう少し浅いか狭いかすれば離湖ではなくて離池あるいは離沼などと呼ばれていたかもしれない。そして別段、観光地として整備されているわけではありません。かといって市民の憩いの場などという都会的な市民公園でもない。ただ水が溜まっているから湖なのだ。

 府内最大と言われてもせいぜい大きな池程度の広さだし、素晴らしい景観でもない(濁っている)。行ったところですることもない。湖水浴なんてもってのほかである。しかし、丹後の風景というのは大体がそうなのですが、初夏から秋にかけての山の緑が鮮やかな頃、晴れた日に眺めると、全くどうってこともない山とか川とか湖の風景が何か意味ありげなものに見えてきます。この写真を撮った盆休みもそんな感じでした。水は濁っているけれど水面は穏やかで青空を映し、遠くに見える山は濃い緑、田んぼはそろそろ黄色くなり始めています。こういう、なにもないけど山と湖だけがあるような場所で、ボケーっとするのもまた丹後観光の一形態です。

 今は細い水路で八丁浜と繋がっているだけですが古代は浅い海だったらしい。写真の奥側は水面からそれほど差のない低地なので、あのあたりまで湖は広がっていたのかもしれません。あるいは現在の網野町市街地も海だったかもしれない。竹野川の河口付近でも同じで、古代には竹野潟という内海があったと言いますが今は埋まって低地に田んぼが広がっています。また丹後半島の西側の久美浜湾も同じだし、さらに鳥取や島根にかけて似たような海跡湖が点在しています。そしてそういうところは古代の港として機能したに違いなく、離湖は竹野川口と並んで貿易港であったのではないか(というのは多分に願望ですが)と思っております。離湖の真ん中に飛び出した離山という岬には古墳が乗っかっていて、ここらへんの港を管理していた市長さんのような人の墓でありましょう。長持形石棺という手の込んだかっこいい石棺を使っていることからしてかなり偉い人であるかお金持ちだったようです。しかしそんな偉い市長さんの墓であるにも関わらず、綺麗な四角や丸や鍵穴型ではなく不整形墳という、何だか山の上を適当に削っただけのような形の古墳で、どうも丹後人というのは古来そこらへんがいい加減だったのかしらと思ったりもします。(あるいは前衛を走る尖り過ぎた最先端だったかも知れぬ)


(画面左上端が八丁浜=日本海。離湖があり、画面右下「フルーツ王国やさか」の右にニゴレ古墳がある)

 ところで同じく不整形墳の仲間として、弥栄町にニゴレ古墳が存在しております。さっき地図を眺めていて気づいたのですが、離山とニゴレ古墳は意外に近い。上にも書いたように仮に離湖が東側に広かったとすると今の府道663号線(掛津峰山線)のあたりに上陸できて、そこから徒歩30分ほどでニゴレ古墳にたどり着きます。築造時期も近いようだし、親子とか、親戚とか、もしくは世襲じゃなくても同じ集団の市長さん二代の墓かもしれない。とするとこのあたりの代々市長さんは離湖港と弥栄町を繋ぐルートを管理していたのではないかとも思えます。弥栄には規模の大きなガラス工房やら製鉄所の遺跡があることからすると売り物はたくさん作れた(そして売れた)のであろうし、昨今の不景気からは考えられない丹後の黄金時代だった可能性もある。たいへん羨ましいことです。