ちりめん工芸館
京都府丹後の伝統工芸 丹後ちりめんの絵はがき
丹後観光案内

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奈具神社

#7 豊受大神(とようけのおおかみ)

 日本に神様は数多く、名のある神から名もなき神まで全部数えたら八百万では収まらないに違いない。げんに子供の頃、家の中の神様を数えれば、お稲荷さんにエベっさん、火の神様の神棚があり、竈の神様にもお供え物をして、座敷わらしや貧乏神が住んでいるなんていう話もあり、一家に一神どころか五神も十神もいるような有様で、たいそう賑やかでありました。今どきのハイテク住宅は断熱・密閉で貧乏神や座敷わらしがあんまり入り込めそうにない上に、神棚を据え付けるようなことも少ないでしょうから、日本全体としては神様の数は減っているのかもしれません。少子化の陰で進む少神化。しかしそれでも家を建てるときに地鎮祭をする人はまだ多いであろうし、一家に一神くらいは残っているだろうと思います。とするとやっぱり、八百万では収まらない。

 ところでその八百万の最高神(という呼び方が正しいかどうかは自信が無いけれど)であるところの天照大御神を祀る伊勢神宮には豊受大御神という神様もいます。アマテラスの内宮に対してトヨウケは外宮。お伊勢参りの人はみんな天照大御神が目当てで内宮へ行ってしまうので外宮は人が少なく森は静かで、駅からも近いので伊勢観光のオススメスポットであります。その外宮の神様、豊受大御神がどうやら丹後と深いつながりがあるらしい、というのが今回のテーマです。

 西暦804年(日本の暦では延暦23年)に伊勢神宮で書かれた『止由気宮儀式帳』には大雑把にまとめると次のように記されているらしい。
「昔、雄略天皇の夢枕に天照大御神が現れて、『丹後にいる豊受という神を私のところに招いてほしい』と言った。そこで伊勢に社を建てて豊受大御神を祀るようになった」
 そのようにして豊受大御神が丹後から招かれて伊勢神宮に祀られるようになったというのが公式な記録(おそらく作り話だけれども)として残っているわけです。
 しかし不思議なことにそれより以前、712年に書かれた古事記には名前が登場するだけだし、720年に完成した当時の日本の正史である日本書紀には名前すら出てこない。どうもその頃にはあまり大した神様だとは認識されていない、丹後の田舎の神様だったようで、つまりは伊勢神宮にもまだ祀られていなかったらしいのです。ということは、720年から804年までの短い期間のどこかで何かが起きて、丹後の田舎の神様が一躍伊勢に祀られることになった。理由はよく分かりませんが、そんなことがあったのです。

 さて、伊勢に豊受大神を送り出した後の丹後はどうかというと、今でもきちんと神社が残っています。この地図ですが、現在も豊受大神を祀っているか、またはかつて祀っていたと思われる神社にマーカーを付けてあります。情報源の大部分をインターネットに頼っているので不確かな部分もありいずれきちんと文献を読んだり足を運んで調べてみなければなりません。災害などによって創建時の場所から移動している神社もあるようですが、それにしても多いです。

 地図の左下に青いマーカーで「A」と書かれている場所があります。『丹後国風土記』から、またもいい加減な現代語訳を抜き出しますが、「丹後の比治山の真名井に天女が降りてきた。老夫婦はその天女を自分たちの子にした。すると家は豊かになったが、豊かになると夫婦は天女を追い出してしまった。天女は泣きながらそこを出て、竹野郡船木里奈具村に至った。これが奈具神社の豊宇賀能売命である」ということで、豊宇賀能売命(豊受大神)がまず最初に降り立ったのが比治山です。それがマーカー「A」の位置にあたります。奈具神社が黄色の「N」で、ちょうどその間が、竹野川(地図中の国道482号線がほぼそれに該当)とその支流に沿って密集地帯になっております。今でも残る伝説の痕跡です。この分布を見るとまさに「丹後半島の神様」というのがふさわしい。

 そこでまた変なことに気づいてしまうわけですが、丹後半島には日本海側最大級の古墳があって、それに関わりが深いと言われる神社があります。B:竹野神社とC:網野神社がそれで、もうひとつ弥生時代の祭祀遺跡に隣接して相当な由緒があるらしい丹後国二宮D:大宮売神社もよほど古い神社です。これらには豊受大神がいないんです。困ってしまいました。丹後の神様なのに、丹後で一番古いらしい神社にいない。今までは「豊受大神こそ丹後の古代人が信じていた神様だ」と思っていたのだけれど、もしやそうではないのではないか。古墳より後、古事記より前くらいのある時期に、外からやってきた神様なのではないか。

 そういえば羽衣天女の伝説によく似た話が中国大陸にも残っていると聞きますし、古代には海外貿易で稼いでいた丹後人のこと、中国からの新しい思想を取り入れて神と祀ったのかもしれません。わりと新しい時期にやってきた神様なのだとしたら、大和朝廷の偉い人たちが国の正史に書かなかったのも「なるほど」と頷けるものです。もちろん真実は遥か歴史の闇の中でありますが、ともあれ、長い間丹後でお祀りされてきた神様ですので、観光の折はぜひお参りしてみてください。
 ちりめんだよりからは比治山にほど近い伝説の地「磯砂山(羽衣天女の里)」をピックアップしました。