#6 戦国時代(せんごくじだい)
戦国時代と言えば室町時代の終わり頃から江戸時代が始まるあたりまで、日本中で武士たちが戦に明け暮れた百数十年です。戦争があれば英雄が生まれるというわけで、だれでも知ってる織田信長、豊臣秀吉、徳川家康。あるいは彼らだけでなく地方でも北陸の上杉、甲斐の武田、関東は北条、中国は毛利で九州の南には島津、四国の長宗我部に奥州の伊達……挙げていけばキリがないですが、とにかく個性的な名将が各地で生まれて英雄として語り継がれています。各地に個性があるというのは現代とは正反対で、今は人口が都心に集まって困る、地方が寂れていく、地方分権を、と色々言われているのに、戦国時代は放っておいても都の外から個性が湧いて出てきたんですね(だからと言って飢饉と戦争の時代が再来するのは嫌ですけれど)。そういうわけで、地方に個性が求められている現代においては名将たちが地方の特色を表す観光資源として使われることがよくあります。が、例によって丹後はそういう目立った英雄が見当たらず、歴史ファンが増えていてもムーブメントに加わることができない。寂しい。
実のところ私もゲームの「信長の野望」で遊ぶまで丹後を支配していたのが誰であるかは知らなかったのです。丹後に住んでいる人でも知らなかったり、知っていても「細川さん」のことだったりする。関ヶ原のとき、舞鶴の田辺城に籠城して守りぬいた細川幽斎の話は知られているし、また細川ガラシャの悲劇なども有名な話だけれど、その主人公であるところの細川さんが織田信長-豊臣秀吉の家臣として丹後を治めていたのは戦国時代も終盤のわずかな期間にすぎないので、丹後の殿様というにはちょっと短い。
それ以前の二百数十年もの間、丹後を支配していたのが足利将軍家の一族にあたる一色氏です。将軍家の一族というと注目されそうなものですが、ドラマの舞台である戦国時代後半に入ってからは外部から攻めこまれるばかりで英雄となることはなく、地方の弱小大名のひとつとして滅亡してしまったのでした。そういうわけで戦国小説の主人公にはなり得ず、大河ドラマの主人公にも程遠く、「信長の野望」においてもゲームの賑やかし程度の弱小大名として描かれてしまいました。
それでは、弱小であるところの一色氏やその家臣たち、また丹後の住人たちが戦国の世を何もせずにただ負けるだけだったかというとそうではなく、きちんと(?)戦乱の時代を戦っていたようです。例えば戦国時代以前からの中世の城跡は丹後には数多く残っています。詳しい調査結果は京都府教育委員会の「京都府中世城館跡調査報告書』第1冊―丹後編―」が市立図書館の郷土史コーナーにあって、一部は教育委員会のウェブサイトから閲覧することもできます(http://www.kyoto-be.ne.jp/bunkazai/cms/?page_id=176)。地元人の目から見るとこれはなかなかおもしろい本です。ウェブから閲覧できるのはほんの一部に過ぎないのですが、実際には丹後半島の村一つにつき一城、あるいはそれ以上の城が築かれていました。ちりめん工芸館のある京丹後市弥栄町和田野地区にも二つの城跡があって、ためしにそのひとつ「和田野城」跡に行ってみたのが今回の写真です。林の中なので少々分かりにくいですが、現在神社がある頂上から一段下がった部分に平坦面があり、そこが郭の跡ということだそうです。よく見るとさらにそれを囲むように人工的な面が何段か連なっていかにも山城らしい様子が見えていました。五百年前、この場所で村を守ろうとしていた人々が確かにいたというわけです。
それからもう一点、今年に入ってから中世の丹後に関する本が出ていました。
中世の逆修信仰――戦国と丹後
論文や郷土資料とは違って幻冬舎からの刊行ということで全国の書店で買えます。私も丹後から離れた群馬県の高崎駅で見つけて買いました。丹後に関するディープな本はあまり無いので貴重ですね。
生前に予め仏事を行う「逆修」という、現在は無い中世ならではの死生観。その証である「逆修塔」が丹後には数多く残っているということで、ここにも戦国を生きた丹後の人々の痕跡があるわけです。本の前半は一色氏の丹後支配にページが割かれていて、それもまた興味深く読みました。
いずれにしても、丹後(特に丹後半島の内側)に残る戦国時代の痕跡は、新しい時代の到来とともに草に埋もれて土に覆われてしまいました。兵どもの夢の跡。ひとつの村のできごとでありながら今の私たちとはまるで断絶しています。しかし、この地にもそういう時代があって歴史に積み重なっている、そういう視点で見てみると、普通の村の風景も何だか侘びしさが増して感じられるようです。