ちりめん工芸館
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#2 神明山古墳(しんめいやまこふん)

 丹後というのは古墳の多い土地で、そこらへんの裏山とか、あっちの丘とか、そういうちょっと眺めて見つかる高い場所には大抵古墳があると思って間違いないです。いや、そう断言していいのかどうか自信はないのだけれど、市立図書館の郷土史コーナーにある古墳調査報告書の地図をいくつか見た限りでは、あちこちの尾根伝いに古墳マークが描かれているのだ。丹後の丘という丘にはフジツボのごとく、あるいは猫の毛のごとく、表面にびっしりと古墳が張り付いるようです。
 こんな古墳だらけの土地は全国にそう多くはない、かどうかは他の土地を知らぬのでこれまた何とも言えないのではありますが、ひとまず古墳だらけであることは事実で、それは中々趣深い。

 ところで古墳とは何かというと、はるか昔にこの辺に住んでいたエラい人の大きな墓です。古代に造られた大きな墓といえば世界各地にありますね、ピラミッドとか。それで、ピラミッドに例えちゃったので説明する必要もなさそうですが、古墳だらけであることがなにゆえ趣深いことなのかを少し述べてみたいのです。話の前置きです。そこでこんな年表をさっき描きました。年代は全部Wikipediaの数字を使いました。

 まず年表で注目したのは時間の長さです。日本国内のあちこちで古墳が造られていた期間を古墳時代というのですが、これは弥生時代が終わって各地に国らしきものができてきた頃から始まって、日本がほんわかと大きな国になった頃に終わります。年表を作るまで気付かなかったのですがなんとこの間は400年以上もありまして、江戸時代よりも長い間、日本のあちこちを治めるエラい人たちは全国でせっせと大きな墓を造っていたわけです。それを江戸時代で考えてみたら、地方のなんとか藩の殿様とか御家老とかお代官様が死ぬたびに代々近所の山の上に古墳を造ってたようなものです。そりゃ日本中が古墳だらけになるわけだ。
 それから第二に注目したのは時代の古さです。多くの人が江戸時代の建築物、東京の寺とか下町とかを指して「日本の歴史は素晴らしい」などと言うわけだけど江戸時代というのはそれほど古くないです。我々のお爺ちゃんのお爺ちゃんくらいになればも江戸時代です。年表の右側4分の1にも満たないような「昔」ですのであんまり古くはない。
 しかし古墳は申し分なく古い。江戸時代が始まったのは400年前で、鎌倉時代はさらに2倍の800年前。さらに3倍の1200年を遡ってようやく平安京の時代に至りますが古墳時代はもっと昔、4倍の1600年ほどです。ゆえに古墳、これこそ歴史の塊である。ただの土山と言うなかれ。古ければうんこの化石だって珍重されるのだから古いことは良いことであります。古墳はあまりにも古くて、そもそも日本に文字が無かった時代の物、つまり全く記録が無いので墓に誰が入ってるか分からない。奈良県の大きな古墳ではおそらく天皇様が入っておられるというのに誰が入っているのかはっきりと分からないものだから後世に書かれた日本書紀なんかを元にして「まあだいたい」というあたりで適当に見当をつけて「何々天皇さんの陵」と決めているそうな。それくらい古い。
 そしてそんな古すぎてなんだか分からないものがそこらへんの山とか田んぼとか市街地の真ん中に、造られたときの形を保って存在しているのだからたいへんに趣深いではないですか。というわけです。

 以上が前置きでして、神明山古墳です。ここは整備された古墳ではなくて、ぱっと見は神社の裏山そのままです。細い道がついてて歩けるので、まあちょっと歩いてみましょう。

 道の入口は前方部の北西側、鍵穴の絵に例えると右下にあります。ここから入って獣道みたいな急坂を登ると、すぐに前方部の平らな面に到着します。このとき正面に見える盛り上がりが後円部で、古墳の中心となる埋葬施設のあるところ。ここで古墳全体を見渡すと、大きいです。木に覆われているので山という感じがしますが形を意識するとでっかい人工の盛り土だと分かります。
 それで、また進みます。これもまた鍵穴型を意識しながら歩くとなるほど人工物っぽい。後円部の道の脇の草むらをよく見ると、明らかに山の石ではない丸っこい石がいくつも転がっていて、完成当初は古墳全体を覆っていた葺石なのかもしれません。最後の坂を登ると、最初の写真のように頂上です。竹野川に沿った平野が一望できて、海があって、海のシンボルである立岩が見える(写真右端)。この風景は良い眺めです。古代には平野の半分くらいは入江の港になっていたらしいのでおそらく眼下には港町ができていたのだと思います。領地の港町と港の入り口にそびえるモニュメントたる立岩、さらにその先の大陸に繋がる日本海を眺める、まさにこの地を治める殿様にふさわしい好立地です。
 往時は大陸との間を行き交う貿易船が船着場に何隻も係留されて、街道を大勢の商人が行き交っていたかもしれません。しかし今は田舎の静かな田んぼ。諸行無常であります。

 ところでこの古墳の主は誰であるか。これまた日本書紀なんかを元にして「まあだいたい」というあたりで何人か候補がいるようです。例えば由碁理(ゆごり)という人の可能性がある。丹波国大県主という肩書の人ですからきっと今で言う京都府知事みたいなエラい人です。もしかしたら国会議員とか大臣みたいな人だったかもしれない。この方は日本書紀に出てくる生身の丹後人としてはおそらく最も古い人であるはずなのでもうちょいプッシュしても良いのになあと思っております。綺麗なお姫様じゃないから無理かなあ。イケメンのおじさんってことにすればもしかしたら……。あと神明山古墳もこんなにでっかくていい眺めなんですから、ちりめんだよりシリーズに加わるのを期待してます。